50代 男一人暮らしの休職日記

会社の事でうつ病になり休職しました。日々の出来事、思った事、発信したい事を書いていきます。

会社をうつ病で休み、ブログを書くまでになった道のり(4)

昨日の夕食はうどんが食べたくなり、近所にある丸亀製麺に行ってきました。

このお店は丸亀と名前にあるのに、香川県丸亀市にはお店がないそうです。

丸亀市民の方たちに受け入れてもらえないのか、丸亀製麺が遠慮して丸亀市にお店を出さないのかどちらなのでしょうか?

それとも他になにか理由があるのでしょうか。

事故のその後

上司が事故のことについて、私が会社に報告しなくてもいいと虚偽の説明を会社にしたことは前回の記事で書きました。 www.ashinichi.com

今回はその後のことを書きます。

もう上司の頭の中では私が事故の報告をさせなかった、事故の報告が遅れたのは私のせいだと決めつけているようでした。

私の性格で反論できないことをいいことに、事あるごとに私が事故の報告を遅らせたと、周りに言いふらしていました。

また、ケガ人の世話を私に押し付けました。

通院にも付き添いましたがその間の時間(半日くらい)、誰かが私の仕事をしてくれる訳ではありませんでした。

その時間の分、私の業務の負担は増えていくことになりました。

本来ならケガ人の上司が管理監督する立場から世話をしないといけないはずです。

もし今でしたら、それは私がすることではないと抗議したことでしょう。

しかし会社人間だった私は、上司の指示には従わなければいけないと考を持っていたので抗議はしませんでした。

体力は減りストレスは増える

上司からはケガ人の世話以外にも事故に関する仕事を指示されるようになります。

それは事故の報告会で指示された職場の改善をすることです。

作業の手順書づくり、設備の修繕、職場で働く人たちへの教育などを実質一人でやらされました。

通常の業務の他、これだけ仕事があると時間はいくらあっても足りません。

毎日の残業に加え、休日出勤をしても時間が足りないくらいです。

上司はそれでも他に人を付けてくれないだけではなく 、アドバイスなどの助けもありませんでした。

そして上司は会社にはいい顔をして、私には辛く当たってきます。

毎日の残業、休日出勤で疲れが溜まるだけではなく、なんで自分がこんな目に合うのかといった思いで仕事をしているのでストレスが溜まっていきました。

芽生える上司への不信感

それでもどうにか3ヶ月後に作業の手順書づくり、設備の修繕、職場で働く人たちへの教育などが終わりました。

しかし上司からはねぎらいの言葉もありませんでした。

私が3ヶ月もつらい思いで仕事をしたのに何も反応なし?

それともこれだけ仕事をしても当然だと思っているの?

私はここでようやく(遅すぎ!)上司に不信感を抱くようになりました。

しかし不信感を抱く事態はこれからも起きるのでした。

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